戦中のたこ焼きに関する歴史はほとんど残っていないのでわかりません。配給制度などでとても苦しい食糧事情だったので、たこ焼き屋をやってる場合ではなかったのかもしれません。
戦後、大阪のたこ焼きの味を決定付ける上で、大きな2つの出来事が起こります。
まず、たこ焼きがトロトロになったことを説明しましょう。
下記の事象はべちゃ焼き時代に起こったという話もあり、どちらが正しいかわかりません。ただ、会津屋さんのたこ焼きを食べた上で、戦後に起こったことと判断しました。
戦後は、みんな貧しかったので、食べるものに困っていました。
それは商人も例外ではなく、可能な限り安い原価で高い利益を得ようとしていました。
商人が考え付いたのは「丸くなるのに必要最低限の小麦粉にして、原価を安くしよう」ということでした。
小麦粉の量を減らすと、たこ焼き全体の水分に占める量が増えます。
たこ焼きの丸さが維持できる、最低限の粉は入れるため、外側は固まります。
その配合で作ったたこ焼きは、外は焼けていても水分がたっぷりです。口に入れた瞬間溶けるように口に広がります。
これが、現在の「中がトロトロたこ焼き」の原型となったのです。
ケチから生まれたのが、激ウマのたこ焼きだなんて、不思議ですね。
次に、ソースをつけて食べるようになったことを説明しましょう。
今は東京の心無い人から「何でもソースとマヨネーズをかけて食べる」と言われることがあるほどソースを味付けに良く使うといわれている大阪の人ですが、元々、ソースをいろいろなものにつけていたわけではありません。
今のようなドロドロのソースができたのは、戦後です。戦後まもなく粘度の高いとんかつソース(濃厚ソース)が発明され、中濃ソースが昭和30年代に登場しました。
それまではサラサラのソースしかなかった(日本のそのソースはしょうゆに味が似てたとか・・・そういえば、しょうゆのことを英語でソイソースと言いますね。。)大阪ですが、とんかつソースと中濃ソースが大評判となり、「何でもソースをつけて食べる」という偏見が生まれるほどまでに普及していきました。
たこ焼きも、その流れのひとつとしてソースをつけるようになりました。お客さんも望んでいたし、たこ焼き屋としてもきちんとした味付けをしなくてもソースの味で食べてもらえた方が手間もかからず、原価も低いので、望むところでした。(もちろん、それでもたくさんのたこ焼き屋さんがこだわりの味付けをしています。そういう店しか残らないですよね♪)